願いはかなったけれど。いったんは・・・

endless end: クマは記事にもう出てきません。たぶん・・

 

1 しんしんと雪はふる

2 ぐんぐんと背がのびる

3 雨ときどきアジール

4 プレイプレイプレイ




● しんしんと雪はふる

志望大学に入れた・・・けれど。

希望した企業に就職できた・・・けれど。

思惑通り転職できて給与が上がった・・・と思ってたら。

うまく大学を卒業できた・・・と思ってたら。

上階の騒音から逃れて良い賃貸に引っ越せた・・・と思ってたら。

フォロワーが千人突破した・・・と思ってたら 。

ようやく別れられた・・・とホッとしてたら。

実家のボロ屋が売れて相続がうまく行った・・・と安心してたら。

外国人観光客がふえて売上が倍増した・・・けれど。

ちかくの出没熊が駆除されて姿を見なくなった・・・けれど。 

 

 ぐんぐんと背がのびる

願いがかなっても。いったんは。

目的をいったん達成しても、人生はそれでエンドではない。

また新しい、別のエンド(目的)を強いられる。 

じぶんのココロからの願いではなく、ほかのにんげんと比べることで、他人の欲望を生きてしまう。

しかも、それをじぶんの願いであり目標であると自主的に勘違いしたいのかもしれない。じぶんに言い聞かせて。

それを幸せと感じる人もいるだろうから、それはそれでいいのかもしれない。

でも、それは偽の目的だから、かならずや問題が生じる。

問題は、ふつうあなたの悩みと化する。社会のコードやモード、他人の言動にふりまわされつづける悩みといっていい。エンドレスの。

そして。あのとき、もし、じぶんの気持ちに嘘をつかなかったなら・・・などと後悔したり・・・

LIFEというワードにはIFとLIEが含まれている。

思惑通りに事がすすんでも、心の奥底から湧いてきた希望通りではないこともある。 思惑「通り」は本来すすんではいけない道だったりするのだ。その道には本当らしい嘘がいっぱい敷きつめられていたりする。

それなのに、ずうううっと思惑という目的を用意し続けねばならないとすれば・・・なかなかそういうLIFEはしんどいのではないか。

endless end・・・と最初にタイトルしたのは、まさにこれ。

わたしがかつて生きてきた世界であり、いま生きつつある世界だ。 

逃げ隠れする場所も時間も、なくなってしまった世界。すくなくとも、絶滅寸前のLIFE。

(だからこそ、私立アジールが不可欠なわけ)

 

● 雨ときどきアジール

まだ続く、幸福度を下げてゆく記事の雨・雨・雨・・・ 

アジールにたどり着くのに、あと数十行の雨に降られないといけない・・・クマのいる森ではなく都市のアスファルトの上を。

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あなたをふりまわすのは他人だけではない。

どこにいってもセンサーと監視カメラにさらされつづけ・・・
いつも電波と広告に追っかけられ・・・
カメラの前でナイスな自己イメージを保たねばならないから、一人きりになってもなかなか落ちつくことができない・・・
さいきんだと、コロナ禍と海の向こうの戦争に追っかけられ、物価高と日本の劣化に追っかけられ、数分ごとにスコア化され、ときには家族や友人にさえストークされている気になる・・・

さらにもしかすると、海のこちらがわで戦争準備が? その気配さえ、ただよってきたかもしれない・・・

事実、本当に逃げ隠れできる場所はかぎりなく限られてしまっている。

もろろんSNS大好き、数秒ごとにスマホチェックが生きがい、コスパ・スコア化サイコー、そう思って日々たのしんでいる人はたくさんいらっしゃる。監視カメラは多ければ多いほど安心できるとか。それはそれでしかたない。他人の考えはなかなか変えられない。

にんげんの秤はかならず傾いているから、人それぞれの思惑と欲望は止められない。(だからAIへの信頼が高まってきたのかも)

ただ、Z世代の超高速のスマホ打ち込みスキルをみていると、わたしなどはとてもマネできないので見惚れてしまうことがある。一種、職人技を見ているようで。

でも、どうだろう。どれだけスキなことに没頭しても疲れるときがあるし、なんといってもうまく行かないときがある。 失敗することがある。

ひとは行き過ぎると、どうしてもちょっと逃げたくなる。いや、ひとによっては戦いたくなるかもしれない。いわゆる、fight-or-flight responseだ。

しかし、逃げるにしても戦うにしても、 すくなくとも、一息つきたくなる。憩いの場所、憩いの時間が必要になる。

日々、われわれは何かと何ものかと戦っているのだから。

ほとんどは、ほんとは、じぶんのココロと競い合っているのだが・・・

そこで、アジールの出番。

SNSもゲームも、星の数ほどあるアプリも、アクセス数やフォロワー獲得も、受験も転職も投資も婚活も推し活も、コンサートもスポーツ観戦も、おかねも、健康も、病院も、人間関係も、監視社会も、形だけになったお祭りも、そして戦争も・・・すべて

こころの逃げる場所なのだ。そして逃げる時間なのだ。 

憩いだけではない。

熱中と没頭も、これすべて・・・

アジールなのだ。

わたし・アジール人の考えでは。

 

アジールをご存知ですか。

 

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プレイプレイプレイ

じぶんはブログの最初の記事で、危機に陥っているメスグマさんのことを書いた。

あれはもちろん一種のフィクションだし、アジールを巡る童話だ。熊語など分かるはずもないし、 熊の気持ちを日本語になどできるはずがない。

でも、日々、熊インフルエンザのような状況をニュースでみていて、なにかしら、避難所を求めるメスグマが憑依したような心理状態になったのだった。

冬眠の場所がないというのは、いわばホームレスの状態だ。

アジール・隠れ家がないステイタス。

メスグマさんのココロの描写は、切実に日本の未来の一断片のつもり。

見られていない、まだ語られない、進行しつつある飢餓の一部のつもり。

インフレーションのいまの日本で、家を追われ食べ物に窮しているひとが増えているのではないかと、ほんとうに心配している。その気持ちが、架空のメスグマさんの周波数と合致したのだろう。

(メスグマさんの御口を借りて・・・

物価高っていわないでくださいね。

ほとんどハイパーインフレになりそうなんだから。

観光立国になるってことはモノづくりやめて円安維持ってことですね。

おもてなしもほどほどにしないと・・・

外国人じゃなくてわたしたち動物もおもてなししてほしい。

駆除してゴミ袋っていうおもてなしじゃなくて。

いたわってほしい。たまには・・・)

贄を捧げ 祈り 遊べ 

PREY PRAY PLAY

 

アジールはご存知ですか。







 

 





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